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気がついたこと [エッセイ・うらぴょん通信]

<2002年に書いたエッセイの再掲載です>

「いい天気」を出版したとき、日本ダウン症ネットワークの名簿を元に、全国のダウン症児親の会に、献本させていただいた。

 今、うちのサイトとリンクしている「佐賀県障害児進路保障の会」の方とも、それがご縁でお知り合いになった。埼玉川口市にある団体「プラス1」さんは、あれから毎号会報を送ってくださっている。

 献本が終わってしばらくすると、複数の方から、同じようなお問い合わせのお電話をいただいた。
「あなたは、ダウン症の子供のことをお書きになったけれど、家族にいらっしゃるんでしょうね!」
 厳しい口調である。よく知りもしないのに障害者のことを書く作家、は許せないのかもしれない。
 私はお答えした。
「いえ、おりません。ただ、妹が耳が不自由で、前から障害者問題について思っていたことを書かせていただきました」
「あら、そうだったの。あなたのお家も……」
 そのとたん。その方の言葉が柔らかくなる。

 こういうことは、昔からよくある。
 障害者を家族に持った人は、「この人は家族に障害者がいて(あるいは福祉の活動をしていて)わかってくれる人」、「この人はその体験がないからわかってくれない人」と、話す相手を知らず知らずのうちに、色分けして考えてはいないだろうか。相手がそうだと分かったとたん、急に昔からの知り合いだったかのように、うち解けて話し出す。

 その証拠として、「いい天気」を配ったとたん、知り合いの思いがけない人が、「じつは、うちにも障害者の家族がいて」と、こっそりうち明けてくださった。
 その数は、驚くほど多かった。そうと知るまでは、みんな私のことを、「無関係な人」だと思って、障害者に関する話題を口に出さずにいたのである。他の話題なら、山のようにおしゃべりしてきたのに!

 確かに障害者がいる家族どうしなら、色々話も合うだろうし、相談にものってもらいやすい。遠慮がないから楽だ。
 だからといって、障害者の問題は、障害者の家族だけが肩寄せ合って集まって、抱えていく問題であろうか。抱えていける問題であろうか。

 これには、日本の文化の、歴史的背景もあると私は感じている。
 昔の障害者は各「家」だけで生活し、家の外にはなかなか出してもらえなかった。障害者に関わる問題は「家」の責任だった。(その閉鎖性が、その後、障害者が養護学校や障害者施設だけで生活する閉鎖性の問題、へとつながっている)

 ところが、ヨーロッパやアメリカでは、キリスト教の考え方「汝の隣人を愛せよ」だから、少なくとも近代化以降、障害者の手助けをするのは美徳であり、当たり前となった。たとえ家族にいなくても、理解するように務めなければならないし、介助も積極的に申し出る。
 家によって、「この家の人はわかってくれる」「ここはわかってくれない」ということは、ありえない。もしわかってくれない家がいるとなれば、地域や教会から攻撃されることになってしまう。

 勿論、これは宗教の問題ではなく、日頃からの「心がけ」だけの問題だ。欧米の取り組みが当たり前、という風潮が世界に広がれば、それで何の問題もない。

 先日、「いい天気を読んでいたので、自分の親が倒れて車椅子になったとき、平静に受け止められた」という方がいらした。
 誰もが、無関係ではいられない。今はただ偶然に、家族や自分が健常なだけかもしれない。

 障害者を家族に持った者も、遠慮せず、積極的に社会に働きかけていく必要がある。すべての人に、障害者問題の実像をわかってもらう必要がある。この活動は、すでに多くの方がなさっているが、まだまだ遠慮している方が多いということだ。

 障害者が家族にいようといまいと、色分けせずに話し合える日が来なければならない。
 どんな人どうしても、さりげない日常会話で、相談しあえる日が来なければならない。

 この働きかけを怠って、社会が二つに色分けされたままだと、いつまでたっても社会全体の理解が進まない。そして、いざ障害者が社会に出ていこうとするとき、大きな障壁が立ちはだかるのではないかと思う。

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