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いい天気 [エッセイ・うらぴょん通信]

<2002年に書いたエッセイの再掲載です>

先日、少し年上の障害者Nさんといっしょに、レストランに行く機会があった。このNさんは、ぱっと見ただけでは何とわかりにくい障害をお持ちの女性である。「いい天気」を読んでくださったことがご縁で、ときどきお話しするようになった。プライバシーに関わるので、あまり詳しい説明は、差し控えることにする。

 二人で入ったのは、ファミリーレストランである。平日で、お昼の十二時前なので、がらがらにすいていた。席に案内され、しばらくするとウエイトレスの人が注文をとりにくる。
 だが、Nさんが声に出して注文したとたん、ウエイトレスのおばさんの目が、変わった。少し言葉が聞き取りにくいだけである。それなのに、「何この人」というような目で、じろじろ眺めはじめた。いっしょにいる私のことも、急にぶしつけな目で見始める。
 やがて、Nさんは、楽しそうに大きな声でお話しをなさった。すると、今度はレストランに入ってきた若いお客たちが、こちらをふりむく。ちらちらながめて目配せしあっている。
 レジでお金を払って店を出るまで、ずっとこの有様であった。「ありがとうございました」と見送るウエイトレスのおばさんも、ずっとじろじろ見送っている。
 下の階に降りるために、エレベーターに乗った。十代のミニスカート女の子と乗り合わせた。その子は、下におりる間中、私たちを振り返って見つめている。
 ふつうエレベーターで知らない人同士が乗り合わせたら、視線をさけるのが普通だろう。だが、相手が普通とちがう、と分かったとたん、まるで自分が優位に立ったかのように勘違いし、上から下に見下ろすような目で眺めるのも平気になる。
 いったい日本は、これでも福祉国家を目指しているといえるのだろうか。
 暗澹たる気持ちになった。

 エレベーターをおりると、Nさんも、ため息をつかれた。
「ときどきこういう日があるの。今日みたいに暇な人が多いほど、じろじろ見る。なんとかしてほしいものだわ」
「今度お会いするときは、うちでいっしょにお昼を食べることにしましょうか」
「いえいえ、それじゃだめなの。そうやって障害者は家に引きこもりがちになってしまう。障害者が、自由に出歩けるような環境に変えていかなきゃおかしいの。今度高橋さんも、またどこかに書いてくださいね。障害者をぶしつけに見るのは、失礼だって」

 なぜ障害者をじっと見るのがいけないのか。相手の身になってみれば、すぐ分かることだ。
 もしあなたが、顔に大きなやけどを負い、その跡がくっきり赤く残ってしまったとする。道を歩いていて、あるいはレストランに入って、じろじろ見られたら、どんな気持ちがするか。
 アメリカやヨーロッパでは、そういうとき、ぜったいに視線を当てず気づかないふりをするのがマナーである。ところが、日本では、よってたかって眺める「田舎の文化」なのである。
 障害者が本当のバリアフリーを手にして暮らすためには、いくら車椅子用のスロープを作ったり、手すりをつけたりして、物理的な整備をしてもだめだ。
 周囲が暖かい視線で、とまでは望むまい、せめて自然な視線で見守ることが絶対に必要である。それが、障害者をとりまく環境が、本当に「いい天気」になるということだと思う。

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