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自分を大切にするということ [エッセイ・うらぴょん通信]

 少し前までは、こう感じていました。
 日本人も、利己主義になったものだなあ。みんな、物事を判断するときは、自分にメリットがあるかどうか、そればかり気にしている。古き良き時代の、日本人のやさしさは、いったいどこに行ったんだろう……。
 しかし、先日の東日本大震災では、あまりにも大きな災害に、社会が変化しました。人々は、思わず、みんな助け合いました。東京でも、帰宅難民の人たちは、見知らぬ人どうしても声をかけ合いました。支援物資や支援金が山のように集まりました。テレビでは、首都圏スーパーでの買い占めばかり大げさに伝えましたが、実際はそれより、みんなの団結、それこそ今年のキーワードと言われる「絆」が強まったような気がします。
 一方、そんな風に社会が変化する中でも、近頃の日本に、少し前から足りなくなっていると思うものがあり、それはずっと変わっていません。
 他人を大切にすること、以前の問題として、まずは自分自身をまず大切にすることです。
 自信がなく、社会に出ていくことを怖がる若者が増えているような気がします。なんでも「自分が悪い」と自分のせいにし、必要以上に落ち込む人が多いような気がします。
 でも、一見うまくいっていないように見えても、けっこうみんな、それぞれがんばっているんじゃない? 
 たとえ、他人に誉められなくなって、評価してもらえなくたって、自分が自分を認めてあげずに、いったいだれが認めてくれるというのでしょう?
 この世の生まれてきて、今、生きているだけで、ホントに、すばらしいことです。
 生きていくためには、毎日やるべきことをするだけでも、けっこう大変ですよね。大人になってしがらみが増えれば、なおさら、でしょう。
 そのストレスに負けてしまうと、どうしても自分を見失いそうになってしまうのです。
 どんなときも、まず自分にしっかり向きあってあげたい。
 日々の生活の厳しさに、思わず落ち込みそうな日には、気を取り直して、自分にこういってみませんか。
「今日もよくやったよ。けっこうがんばってるよ、えらいよ、自分!」
 もちろん、これは利己主義とか、ナルシシズムとか、そういう自分勝手なだけの考え方とは、まったく相反するものです。つまり、自分に与えられた命、それをしっかり自分で抱きしめ、守っていくということです。
 明日も元気、であるために、どうぞみなさんも、一日の終わりに、自分自身へのご褒美の一言、実践してみてはいかが? 私もなかなか、できてはいないんですけれど。 
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「がんばれ!」 [エッセイ・うらぴょん通信]

 少し前になりますが、「がんばれ」という言葉をむやみに使うのはいけない、とされた時代がありました。ぎりぎりまでがんばっている人に、「がんばれ!」といって、いったい何をしろというのか。
 ―もっともです。
 たとえば、今回の大震災で被災して、何もかも失った人たちに、ただ他人が「がんばれ」というのは、いかにも無理、を通りこして失礼な気さえします。
 では、どのように「がんばれ」という言葉を使えばいいのでしょう?
「がんばれ」は、フランス語でいえば、「ボン・コラージュ!(よい、勇気を!)」という言葉になるのですが、その使い方について、ずっと考えていました。
 たとえば、児童文学作家、あるいは、画家さん、写真家さん、ライターさん・・。その辺りのフリーの世界で、「がんばらずに」成功している人は、一人もいないような気がしていたからです。

 そんな中、ある心理学者の方の言葉に目が留まりました。

「自分が好きな分野については、「がんばれ」と自分を励ましてもいいんですよ。でも、やりたくもない分野でがんばるのは、精神的によくないんです」

 ああ、なるほど。そういうことなんだ―。
 やっと腑に落ちました。
 わたしは、児童文学を書くのが好きです。
 なぜ? と聞かれても答えられません。ただ、好きです。たとえば、野球が好きとか、サッカーが好きとか、パッチワークのお裁縫が好きとか、それと同じようなことでしょう。理由ははっきり述べられません。
 でもそういうわけで、この分野で「がんばれ!」といわれたら、がんばることができるんです。これも一つの才能、といえば、才能かもしれません。「児童文学バカ」です

 今の児童文学界の状況は、「厳しい」を通りこして「最悪」です。出版社の企画に合わなければ出版することはできません。新人の人たちが巣立っていくのは、本当に大変なことでしょう……。

 だからこそ、この逆境の中でも、まだ「児童文学を書き続けたい!」という人たちには、わたしはもう、握手する手をさしのべて、こう申し上げたいと思うようになりました。
「がんばれ!!」
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日にち薬 [エッセイ・うらぴょん通信]

 かつてホームページに掲載していた「うらぴょん通信」をもう一度読みたいという、ありがたいリクエストを、最近またいただきましたので、今回は「日にち薬」を掲載します。

 「日にち薬」
 日にち薬という言葉があるそうだ。
 いやなこと、つらいことがあっても、日が経つにつれて人は忘れていく。日にちが心の薬になるのである。
 保険会社に就職していたころ、ある同期の女性と仲たがいしたことがあった。
 その女性が結婚退職するというので、人事課の私は上司の指示で、「退職日はいつですか」と、内線電話をかけたのだ。
 ところが、その女性は、「私が退職しても、うららさんは、全然平気なの?」と、怒ったのである。きっと、「やめないで」と言ってほしかったのかもしれない。
 それから仲は険悪になり、私もどうやら陰口を言われたらしかった。胃が痛む日々がつづき、とうとうその状態のまま、その女性は退職していく。
 そして、数年後、私も思うところがあって、会社を辞めた。
 その女性から電話があったのは、ついこの前である。十二年ぶりだ。
 人づてに連絡先を知ったから、ぜひ会って話がしたいという。私のことをなつかしがって、ずうっと電話の向こうで笑っている。
(覚えてないのかしら)
 私はいぶかしんだ。また会うことは、残念ながら都合で断った。
 だが、そこで気づいたことは、年月を経れば、たいがいの心の痛みは、消えてゆくということだ。あの出来事を口にしても「ああ、そんなこともあったわね」と一笑に伏されるだけだと思う。
 もちろん、もっと深い傷なら、何年たっても癒えないことだろう。肉親の死、事故や戦争の記憶……。それでも、一年、二年と経つうちに、ほんの少しずつ心は自分で再生する。人間の心とは、うまく作られているものである。
 だから、つらいことがあっても、「日にち薬」はぜひ頼りにしたいと思う。相手を怒らせてしまったのなら、二、三日、できれば一週間くらい待ってまた謝るのも一つの手だ。人の心とは、おかしなもので、その日によって形をころころと変える。相手の心だって、だんだん変わってゆく。
 年齢を経るにつれ、気がついたのは、世の中の人全員に自分を好きでいてもらうのは不可能だということだ。どこかで踏ん切らないと自分の人生がダメになることだってある。
 勿論、誰とだって仲良くしたいし、うまくやっていきたい。しかし、パーフェクト、で有り続けることはできない。だから、人間関係で傷つくのは、誰だって当たり前、のことなのである。
 物を書く人なら、つらい思いを 設定を置き換えて文章にするのもいい。日にち薬と同じく、物事をより客観的に見られるようになる。
 傷ついたな、と思ったとき、私は思う。
(これもネタにしちゃえ)
 作家にとって、無駄になる経験など一つもない。
 本当に、お得な職業だと思う。


 以上、これを書いたのは、たぶん八年くらい前ですが、覚えていた方がいらしたのは、うれしいことです。
 今は今で、日々の生活にストレスがないかといったら、それはウソです。現在の私は、何か悩み事に出くわしたとき、まずこう考えることにしています。
「はたして、これは一年後も、まだ悩んでいる事柄か?」
 そう思えば、たいていのことは、きっと一年後には「なんとかなって」いるはずです。だから、そういうことについては、深く気をもまないようにしようと心がけるのです。
 しかし、八年前に書いた中にも出てきますが、生きてれば、一年どころではなく、ずっと抱えていかなくてはならない問題もあります。そんな問題に初めて直面したときは、それはショックですよね。
 でも、そんな時も、「そのうちきっと自分もその問題に慣れていく」「いつか平常心でいられるようになるから大丈夫」と、「日にち薬」の効用を信じ、これまた、なるべく気にしないようにしているのでした。[るんるん] 
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コンプレックス [エッセイ・うらぴょん通信]

 うらぴょん通信、今回は2002年10月に書いた文章です。6年半前ですね。このときは、自分がノンフィクションを書くようになるとは、思ってもいませんでした。
 「取材などという、難しくて神経をすり減らす仕事は、ぜったい自分にできるわけない」と思いこんでいたんですね(爆)
 でも、明日からは、海外取材です。3月3日まで不在でございます[飛行機]
 おばさんでも、成長するのね(遠い目)
********

 秋は天高く運動会の季節。
  かけっこをしている息子たちを眺めながら、昔の自分を思いだした。
 小学生のころ、体育は苦手だった。
 と、いうより嫌いだった。
 かけっこは、平均よりおそい。
 逆上がりはできたが、下に足をつけず棒の周りをくるくる回る「空中逆上がり」は、たった一回できただけ。手がすりきれないよう、スカートを棒に巻き付けて何度も回っている友だちが、本当にうらやましかった。
 水泳は25メートルなんとか泳げた。だが、それ以上は今も泳げないし、速い遅いをいったら、お話にならない。
  一番だめなのは、跳び箱だ。私は今まで、跳び箱の上に乗ったことはあっても、高い跳び箱をきちんと跳び越えられたことは、一度もない。
 だから、体育のある日はいつも憂鬱。
 体育のある日は学校にも行きたくなくて、仮病で休んだこともあるくらい。
  いつか童話に「なわとびの女王」という、なわとびができないことを叱る先生と、それが原因で学校を休んでしまう女の子の話を書いたことがある。
 それをある人が小学生に見せたら、
  「そんなことで休む子なんかいるわけない」
 と言われたそうだ。
 だが、ほとんどの元気な子にとっては信じられないことでも、現実に体育が苦手で学校が嫌いな子はきっといると思う。

  ところが、こんな私が大きくなって体育会の合気道部に入ってしまった。今までの体育コンプレックスを払拭し、精神的も、肉体的にも強くなりたかった。
 実は、体育会に入ると、 体育の授業が免除、なのである。
  それもあって入ったのだから、変な体育会系、だ。
 何度か途中でやめるやめないの騒ぎを起こしたが、なんとか最後まで部を続けることができた。
 そして、体育コンプレックスから卒業した。
 ランニングだって、男子といっしょにやったし、筋トレも同じ数だけやらされた。
 勿論、跳躍の受け身(前回りの受け身で、助走して三メートルくらい飛びこす)なんかは、不得意だったが、技は選手権で全国4位になった。

 やればできるんだ。

 小学生のときの自分は、なんだったのだろう。
 ひょっとして、誰かに「あなたは運動はだめね」と言われて、自分で思いこんでいただけかもしれない。
 大人になった私が跳び箱を練習すれば、きっと飛べただろう。
 要は「できるわけない」というマイナスの思い込みがずっと続いていただけだったのだ。
 
 就職すると、肩こり予防のためにエアロビクスを始めた。
 その後、結婚して子どもができても、エアロビクスとジャズダンスやヒップホップダンスだけは続けている。
 今や、大人の中でも「運動好き」な部類に属するようになったのだから、人生とはわからない。
 
  この他にも、私は自分で不得意と決めこんでしまっていたことが、いくつもある。
 たとえば「絵」。
 小学生の頃、絵画教室に通っている友だちの絵があんまりうまかったので、自分はだめだと思ってしまった。
 ところが、自分が母親になって、子供に絵を描いたり、幼稚園のお手紙にさし絵を描いたりしていると、他のお母さんから「絵が上手ですねえ」と言われた。
 もちろんいたずら書きのようなちゃちな絵だが、「不得意」と思いこむ必要はなかったと今頃になって思った。もし、もっと早く勉強していれば、絵本の絵が描けたかもしれないと、ちょっとくやしい。

 物事を成功できるかどうかは、その成功した姿をイメージできるかどうかという。
 オリンピックの短距離選手は、最後にゴールのテープを切るときの、テープの縄の感触までイメージして走るそうな。
 体育にしたってそうだ。速く走る自分。跳び箱をひらりと跳び越える自分。それが思い描けなくては、やり遂げられない。
 絵を描くときもそうだ。描き上げる絵自体をイメージできなくては、うまく描けるわけがない。
 始める前から、「できるわけない」と思い込んで、成功するわけがないのである。

 これは、童話を書くときも同様である。
 最後に出来上がったお話のしっかりとしたイメージを持って、書き始めなければならない。
「長編は苦手だわ」とか、
「奇想天外な設定は、不得意」
「ノンフィクションは、やったことなくて、できるかしら」
 と、最初から思っていては、うまく書けるわけがない。
 本を書く人なら、できあがった本の表紙、とか、本の厚さ、それを手にとる子供、本屋さんに並ぶときの様子、まで考えながら、タイトルを決めたり、内容を変えたりなさっていることと思う。
 大事なのは、「絶対できる」と信じてやり始めることである。
 
 大人でも、これだけ「心構え」は大事なのだから、純粋な子どもの頃の、思いこみ、というのはとても重大だ。
 運動会でビリになった子がいったら、かけよってこういってあげたい。

「そんなの全然気にすることないんだよ。」

 子供を育てるとき、「あなたはこれは不得意ね」という言葉だけは、慎みたい。
 それより、できるだけ誉めて自信を持たせたい。
 そして自分自身も、これから何か新しい分野に挑戦することがあれば、「絶対できる」と信じて取り組むよう、心がけていきたい。

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カメ子の会 [エッセイ・うらぴょん通信]

 先日、お会いした方が、私のホームページの「うらぴょん通信」というエッセイのコンテンツがなくなってさみしい、といってくださったので、ときどき、以前のものを、こちらにアップしていきます。ええ、たとえ一人でも読みたい、という方があれば、載せてしまう。これって、物書きの「サガ」ですね(^^)
 なお、今回の「カメ子の会」のエッセイは2003年3月に書いたものです。もう6年も経つのね・・・。なつかしいですv
 え? だれ? まだカメ子なのねって。はい。今日もよちよちやっております(爆)

*********
 私は、児童文学を書き始めて約15年になります。
 いいえ、じつは、本当に最初の物語を書いたのは、小学2年生のとき。
 今でも題名とストーリーを覚えています。担任の先生に「ぜひ、つづきも書いて」と言われ、とても喜んだものでした。
 中学のときは、詩に熱中して、公募に応募したりしていました。高校のときは、小説モドキ、を書いて楽しんでいました。
 大学を卒業してからは、勤めのかたわら松竹シナリオ研究所、で放送作家の勉強もしたものでした。
 そして紆余曲折がありまして、やっと今は児童文学と詩にしぼって、創作を続けております。
 しかし、児童文学を長く「元気に」書き続けるのは、なかなか大変なことです。
 本当は、いつもいつも精神状態を前向きに保たなくてはならないのですが、これがなかなか難しい。

 たぶん私だけでなく、他のみなさんも、それぞれ苦労されていることと思います。
 公募に出し始めてすぐ受賞したり、その受賞が立て続けに続く場合はいいです。
 ラッキーなデビューを飾って、その後も順調な人はいいです
 しかし、世の中そう甘くはありません。
 おまけに、プロになろう、とか、いっぱい出版しよう、などと思ったら、それこそ公募時代よりもっと厳しい目にあうことになります。
 なにしろこの出版不況。児童文学の新人作家が「いい目をみる」なんてことは、そうそうあることではありません。
(もちろん、以上のことは、誰か特定の方のことではなく、一般論です)

 しかし、中には、プロになることにこだわらず、同人の活動などで地道に書き続けられ、創作を心から楽しんでおられる人たちがおられます。
 何十年かけて、一つの作品を仕上げられる方もおられます。
 子どもたちのために本当にいい文学、を追求され、ボランティア活動をされている方たちもいらっしゃいます。
 本当に、うらやましいし、素晴らしいことだと思うのです。
 書くことがつらくなる前に、私たちも、もう少しリラックスして創作活動を続けることはできないものでしょうか。

 だいたい、誰か初心者の方が、同じような悩みを持って、書き始めて二年や三年くらいであきらめたら、あまりにももったいないことです。私のように「カメの歩み」で、書き始めてから15年もたって、やっと創作の糸口、あたりが見えてくる場合だってあるのですから。
 
 と、いうことで、私は自分で勝手に、元気に書き続けるため、ある会を作ることにしました。
 名づけて
「児童文学カメ子の会」
 会員は今のところ私一名。
 この会のお約束は。

* ひたすら書き続けること
* しかし、短期間での成果にはこだわらず、長い目で自分自身や児童文学と向き合っていくこと
* 他人と競争しない。だから、ひがまない。あせらない。


 と、いったところ。
  
 「カメ子の会」の会員になると、こういう利点があります。
  
 たとえば誰かに、

「今年の公募、いくつ受賞しましたか」
「デビューはいつになりそう?」
「次の出版はいつですか?」

 なんて、ぶしつけに聞かれても、

「さあ、どうかしら。私、カメ子の会の会員ですから、そういうことにはこだわらなくて」 

 と、答えるだけでいいのです

 あるいは、そっと「カメ子の会の会員証」を見せるだけでいい。

 すると相手は恐縮して、こう言うかもしれませんね。

「あ、カメ子の会の方でしたね。どうも、失礼しました」

 これってちょっと、グッドじゃありませんか?
  
 カメ子といえども、肝心なのは、ポジティブでありつづけることだと思います。
 書き続けている途中で、ふと立ち止まり、「もう二度と受賞しないんじゃなか」「この先、一生ボツが続いたら」「やっぱり自分には才能がないのでは」と思ったとたん、底なし沼が足下に広がります。
 カメ子は、決してふりかえらないし、足下も見ません。
 ずっと前を見て、ゆっくりゆっくり、進んでいきます。
 一言でまとめれば、「マイペース」ということでしょうか。
 しかし、マイペースだからといって、毎日の努力をしないわけではありません。
 創作は、ちょっと休んでしまうと、次に書き出すのが、とても大変になります。
 少しずつでも、続けていくことが大事です。

 こんなことを書くと、「とうとう、うらぴょんも、ボツが続いて落ち込んだのか」と思われるかもしれませんが、別にそういうわけでもありません。
 カメ子の会、ですから、詮索されることも好みません。
 もし出版等に関するお知らせがあれば、マイペースで行っていくつもりです。
 勿論、もしもあれば……、の話ですけれどね。

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